労働者のこだま(理論)

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zoom RSS ヘーゲル法哲学と歴史法学派 その2

<<   作成日時 : 2008/08/21 14:40   >>

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3 ヘーゲルのフーゴー批判

 ヘーゲルの『法の哲学』の緒言にはヘーゲルがフーゴーを批判しているところ(緒言、第3節)がある。

 「緒言」の一節からみていくと、最初ヘーゲルは「哲学的法が対象とするのは、法の理念であり、したがって法の概念と、これの実現とである。」という。なお、この節の追加として、「概念と現存在は、たましいと肉体のように、別々でしかも一つになっている二つの面である。」という説明があり、法というのは「たましい」のにようなもので現存在(現実の法律)というのは「肉体」のようなものであるという。

 そして「法の理念は自由であって、それは真に把握されるためには、それの概念において、そして概念の現存在において認識されなくてはならない。」ともいう。

 だから青年マルクスが「法に理性を見よ」とフーゴーにくってかかっているのは、ヘーゲルにならって、フーゴーに「法のなかに自由の理念を見よ」と言っているのである。

 そして第2節では、

 「法学は哲学の一部である。それゆえに法学は理念を――これがおよそ対象といわれるものの理性なのだから――概念から展開されなければならない。あるいはこういっても同じことだが、ことがらそのものの内的な発展をよく追ってみなければならない。」

という。これはヘーゲル思弁哲学の特質である概念の自己展開によって世界が形成されるという見解であり、ここでは「自由なるもの」があって、その内的な発展によって、法的世界、すなわち法体系が形成されていることを理解しなければならないとヘーゲルは強調しているのである。

 第3節では、

 「法は、一つの国家において妥当性をもっているという形式によって、総じて実定的である」という。

 ※ 実定法というのは、先の「法の現存在」と同義で、人為的にさだめられた法、社会で現実に行われている法のことである。

 そして、

 「この法は内容からいえば、以下の三つのことによって実定的要素を含む。」として3項目をあげている。

 @ 一つの民族の国民的性格と、その民族の歴史的発展段階と、自然必然性に属するすべての諸関係の連関(※)とによって。

 ※ ヘーゲルが「自然必然性に属するすべての諸関係の連関」として想定しているのは、土地、気候風土、地理的位置などで、この項目はモンテスキューが「法の精神」で法を規定するものとしてあげている項目とよく似ている。

 A 一つの制定された法の体系なるものは、普遍的な概念をもろもろの対象と事件の特殊的な、外からわかる性質に適用することを含まざるをえない。

 ※ ここでヘーゲルが言っているのは、「盗み」という概念が書物の複製偽版、無断収録、学問芸術上の剽窃(ひょうせつ)などに適用されること。つまり、「盗み」という概念が、特殊な事件に適応される場合、その特殊性に応じて「著作権侵害」等々の別の言葉として表さざるをえないということ。 

 B 現実における決定のために必要なもろもろの末端規定によって。

 くだらない些末なことを細々と規定するのが法律だというのは乱暴な「概念規定」でしかないのだが、ヘーゲルはこのように言ったあとで、このようにいう。

 「暴力と専制が実定法の一要素でありうるということは、実定法にとっては偶然的であって、それの本性には関係しない。・・・

 自然法ないし哲学的法が実定法とちがっているということを、両者はたがいに対立し抗争しあっているというふうに変じてしまうのは、大きな誤解であろう。前者は後者に対してむしろ、『法学提要』が『法学大全集』にたいする関係にある。――」

 ヘーゲルは、総じて「法」というものを理解していない。ここではむしろヘーゲルが主張していることとは逆に、「法」が「暴力と専制」すなわち、一つの社会的強制力を持ったものとして現存していることが法として本質的なのである。

 法は社会が社会の成員に強制的に自己の意志を押しつける必要が生じたとき、すなわち階級社会が生まれ、国家が生まれたときに「法」が生まれたのである。そしてその時、支配階級と被支配階級に分裂した社会は、支配階級の意志を、普遍的・一般的な意志として、被支配階級に押しつけたのである。つまり、特定の階級の利益を法律という形式で社会一般の利益として被支配階級に押しつけたのである。

 したがって、自然法・一般法・普遍法のたぐいは歴史、すなわち階級国家の成立と同じぐらいに古いといえるのである。

 そしてこの自然法・一般法・普遍法のたぐいは、時代とともに、生産様式の変化とともにその意味するものが変化している。

 始源的なものとしては、この自然法・一般法・普遍法のたぐいは、神そのものとしての王の意志を表していたが、古典古代(古代ギリシャ・ローマ)では、支配階級を構成していた氏族共同体の意志を表していた。

 たとえばアリストテレスの『ニコマコス倫理学』でも、「ポリス的な〈正〉には自然法的なそれもあるし、人為的なそれもある。自然法的なそれは、いたるところにおいて同一の妥当性をもち、それが正しいと考えられていると否とにかかわらない。これに対して、人為法的なそれは、こうであってもまたそれ以外の仕方であっても本当は一向に差し支(つか)えを生じないのであるが、《たとえば左側通行の決まりのように》いったんこうと決めた以上は、そうでなくては差し支えを生ずるごとき事柄である。」といい、自然法(いたるところにおいて同一の妥当性をもち、それが正しいと考えられていると否とにかかわらない法)が語られているが、この「いたるところにおいて同一の妥当性をもつ法秩序」こそ、ポリス共同体の秩序にほかならなかった。

 アリストテレスのいう「いたるところにおいて同一の妥当性をもつ法秩序」は、むしろローマにおいて発達した。都市国家ローマはイタリア半島を越えて拡大していく過程で多くの属州と呼ばれる占領地を獲得したが、本国と属州、あるいは属州と属州のあいだの交易を規制する法律として外国人取引法がうまれ、これがローマの万民法(自然法)として整備されていく。したがってローマの自然法は民法を中心に発達していったといえる。

 また、中世の封建社会においては、この自然法はいうまでもなく、キリスト教的世界観から導き出されている。アウグスチヌスの『神の国』では、永久法は神の理性ないし意志の発現として「秩序づける秩序」として、位置づけられており、自然法は「秩序づけられた秩序」として、実際に施行されている法律として位置づけられている。つまり、法律は自然法であるかぎりで、すなわち、神の法である永久法の刻印が押してある法律、または神の法則である永久法を反映させている法律であるかぎりで法律として妥当するとされている。

 18世紀の啓蒙思想家たちは、人によって違いはあるが、基本的に、歴史的には存在しない空想上の「人間の自然状態」を想定し、そこでの法を「自然法」とよび、これまた想像上の「社会契約」によって、社会状態に移行して、市民社会、市民国家を建設していくことになっている。

 たとえば、ジョン・ロックによれば、「自然状態にはそれを支配する自然法があり、それはすべての人間を拘束している。そして理性こそその法なのだが、理性にちょっとたずねてみさえすれば、すべての人は万人が平等で独立しているのだから、だれも他人の生命、健康、自由あるいは所有物をそこねるべきではないということがわかる。」(ジョン・ロック、『統治論』)ということで、ロックは自然状態の中に自由、平等、生命の安全、そして所有権を含めている。(ロックが所有権を自然権の中に含ませているのは、「労働に基づく所有」、すなわち、私的所有の根源を労働に求めていたからである。)

 ヘーゲルはこの自然法を思弁哲学的に改作してではあるが、かなり取り入れている。

 最初に、自然法が理性に基づくものであることから、自然=概念とする。すなわち、ことがらの本性=自然なのであるから、概念によって規定されている法こそ自然法であるというのである。そして概念=自由なのであるから、ヘーゲルは「自然法は概念によって規定される」ということによって、概念によって規定されている法によって自由が具体化されているものとされるのである。

 しかし、ヘーゲルのように「自然法ないし哲学的法が実定法とちがっているということを、両者はたがいに対立し抗争しあっているというふうに変じてしまうのは、大きな誤解であろう。前者は後者に対してむしろ、『法学提要』が『法学大全集』にたいする関係にある。」というのはあまり正しくはないいいかたである。というのはいうまでもなくヘーゲルの国家、すなわち、プロイセンの半封建的な絶対王制のもとでは、基本的人権もブルジョア民主主義も存在していなかったのである。このような社会制度のもとで、法の理念は自由であると宣言し、それが法の哲学の基礎にあるといっても、それは実際には、プロシアでは非常に制限されているか、存在していないものであるから、現実にプロシアにおいて施行されている諸法律と「法の理念としての自由」は必ずしも一致するものではないからである。だからヘーゲルの法哲学は、結局、プロイセンの君主制と名前だけの民主主義と反動的な官僚制度全般を擁護することにしかならなかったのである。

 「方法についていえば、学においては概念がそれ自身からおのれを展開するのであって、ただ概念の内在的な前進と産出があるのみである。

 いいかえればこの進行は、いろいろちがった関係というものが存在しているのだとまず断言しておいてから、こんどはそのような、どこかほかから受け入れられた素材にたいして、普遍的なものを適用することによって行われる進行ではないのである。

 右の方法(概念の自己運動によって特殊的なものが産出されるという方法)は、これまた本書(『法の哲学』)では論理学から前提されている。

 概念の運動原理は、普遍的なものを特殊化したもろもろのあり方をただ解消するばかりではなくて、産出しもするものとして、私はこれを弁証法と呼ぶ。――

 したがってこれは、感情とか総じて直接的な意識に与えられた、対象、命題などを解体し、もつれさせ、あちらこちらとひっぱりまわして、それらの反対物をみちびいてくることだけを仕事をしているという意味での弁証法、――プラトンでもしばしば見られるような、ある否定的な流儀――ではない。

 そういう流儀の弁証法は、ある考えの反対がその究極の成果だと見なしたり、古代の懐疑論のように断然ある考えの矛盾こそがその究極の成果だと見なしたり、あるいはまた無気力な仕方で、真理にだんだん近づくことといった現代式の中途半端がその究極の成果だと見なしたりすることがある。

 もっと高い、概念の弁証法とは、規定をたんに制限や反対物として産出するのではなくて、規定から肯定的な内容と成果を産出し把握すること――このことによってのみ規定は展開ないし発展であり、内在的な前進として――である。それゆえ、この弁証法はなにか主観的な思惟(しい)の外的な行ないではなくて、内容自身のたましいであり、有機的にそのもろもろの枝や果実を生じるのである。

 理念の理性自身の活動としての、こうした理念の発展を、主観的なものとしての思惟は、自分のほうでなにかを付け加えることなしに、ただ追って見てゆくのである。あるものを理性的に考察するとは、この対象に外から一つの理性をもたらし、このことによって対象に加工することではないのであって、対象がそれ自身で理性的なのである。

 ここでの理性的な考察の対象は、精神がそれの自由においてあるあり方である。すなわち、理性が自分に現実性を与え、実存在する世界として自分を生みだすところの、自己意識的な理性の最高点である。学の仕事はただ、ことがらの理性自身のこの労働の(成果)を意識にもたらすということだけである。」

 ヘーゲルの自然法によれば、ことがらの本性(本質・概念)によって規定されている法が自然法であり、その中心にあるのは自由の理念である。この自由な理念の自己運動によって、国家社会が生みだされ、もろもろの法体系が生みだされるのである。(※)

 ※ 参照

 「法の地盤は総じて精神的なものであって、それのもっと精確な場所と開始点は意志である。これは自由な意志である。したがって自由が法の実体と規定をなす。そして法の体系は、実現された自由の王国であり、精神自身から生み出された、第二の自然としての、精神の世界である。」(ヘーゲル、『法の哲学』、中央公論社、『世界の名著』14巻、P189)

 だから純粋ヘーゲル法学派の青年マルクスはヘーゲルにならって、フーゴーなどの歴史法学派にたいして、「なぜ君たちは、法のなかに理性を、『自由な理念』の発展を見ないのか」と論難したのであった。

 そしてヘーゲルの自然法が、啓蒙思想を思弁哲学的に改作したものであるということは、この理論に、いくつもの矛盾をはらませている。

 第1は、もちろんその狭さである。ヘーゲルの歴史哲学においてもそうなのだが、一つの時代だけにあてはまる概念を絶対化すること(たとえば、歴史は自由の実現の過程であるとか、法の体系は実現された自由の王国である、と主張すること)によって、真に歴史的なものの意味を見失うという点である。

 それを端的に表すのが、ヘーゲルのローマ法の理解であり、ここではヘーゲルは単に、自分はローマ法について何も知らないのだということを告白しているにすぎない。

 第2は、そのあいまいさである。最初に、ヘーゲルは、自然法と実定法の関係は、たましいと肉体のような関係であると言ったあとで、『法学提要』と『法学大全集』(※)のようなものであると言いかえている。これは現代日本流にいえば、自然法(哲学的法)と実定法のちがいは、「六法」(憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法)と「六法全書」(日本で施行されているすべての法律を網羅したもの)のようなものであるといっているのと同じである。

 ※ 『法学大全集』 ユスティニアヌスの命で編纂された50巻の法典集。法学者の著作を資料としてもつ
『法学提要』 初学者の教科書用に実効性をもつ基本的な法典を4巻にまとめたもの。
『ローマ法大全』 上の二つをあわせたもの。

 ヘーゲルは一方で、法は理念だといい、つぎに、法は実定法であるともいっており、さらに、法体系は自由の理念の自己運動によって産出されるともいっているのだから、青年マルクスのように、「法のなかになぜ理性の自由を見ないのか」という人まででてくるのである。

 「本節で最初にあげた、実定法における歴史的な要素にかんしては、モンテスキューが真実の史的な見解、真に哲学的な立場を示している。それは総じて立法とそのもろもろの特殊的な規定を、孤立させて抽象的にではなくて、むしろ一つの総体の依存的な契機として、一つの国民と時代との性格をなしている他のすべての諸規定との連関において、考察するものである。この連関のなかでこそ、立法とそのもろもろの特殊な規定はその真実の意義を得るとともに、その正当化を得るのである。――

 もろもろの規定が時間のなかで現象するその出現と展開を考慮すること、――この純粋に歴史的な仕事も、またそれら法規定の、既存のもろもろの法関係との比較から生じる悟性的な整合性の認識も、それ自身の圏ではそれなりの功績があり、それなりの価値を認められている。そして史的な諸根拠にもとづく展開が、概念にもとづく展開と混同されず、歴史的な説明と正当化が、即自かつ対自的に(※)妥当する正当化の意義にまで拡大されないかぎりは、それらは哲学的な考察とは関係外にある。

※  即自的に――アン・ジッヒ、ものごとが未分化の状態、「それ自体」とも訳す。
対自的に――フュール・ジッヒ、ものごとが分化して自己と向き合う状態、「自覚的に」とか「独りで」「それ自体として」などと訳す。
即自かつ対自的に――アン・ウント・フュール・ジッヒ、弁証法で「即自的」を「肯定」、「対自的」を「否定」とすると「即自かつ対自的に」は「否定の否定」、ヘーゲルやマルクス、そしてわれわれは、「絶対的に」という言葉を「即自かつ対自的に」という意味で使っている。たとえば、われわれが「林紘義氏は、哲学としては、主観的観念論しか絶対的に知らない」という場合の「絶対的は」、アン・ウント・フュール・ジッヒという意味であり、「内容においても、形式においても」とか「外観としてみても、内容を吟味して理性的に判断としても」という意味である。

 この区別は、はなはだ重要であって、よくしっかりとつかんでおくべきであるが、同時にそれはきわめて分明である。」

 ここでヘーゲルは再び、法における「史的な諸根拠にもとづく展開」と「概念にもとづく展開」(概念の自己運動による実定法の産出)は異なる、すなわち、実定法の現実的、歴史的な展開と哲学的法(自然法)の概念にもとづく展開は区別が重要であるといい、モンテスキューをもちだしてくる。

 このモンテスキューの『法の精神』こそ、実は、ヘーゲルの法哲学(自然法)のふるさとなのである。モンテスキューは『法の精神』なるものがあって、それが各民族の風土、気候、国民感情、地理的条件等々に適合するかたちで現実の法律として顕現すると主張する。この点だけとらえればモンテスキューはフーゴーやサヴィーニのような歴史法学派の始祖ともいえるが、他方においてモンテスキューは「三権分立」を唱えた啓蒙思想家であり、自然状態→社会契約→市民国家という啓蒙思想家特有の理論をももっており、ヘーゲルの『法の哲学』もその主なテーマは「法の実体と規定をなす」自由がいかにして自己展開をして現実の法律および国家体制として顕現するのかということである。。

 ある法規定が、周囲の事情と現存の法制度からはまったく根拠がありかつ整合的とされながら、しかも即自的かつ対自的には不正であり、非理性的であることがありうる。たとえばローマ私法の規定にはこの種のものがたくさんあって、それらはローマ的な父権、ローマ的な結婚者の身分といったような諸制度からはまったく整合的に生じたのである。

 ここにはヘーゲルの歴史認識の狭さがある。ヘーゲルは“近代人”として“近代”、すなわち、個人が“個”と確立されている時代しか知らない。だから、ヘーゲルは近代以前に家父長が家族の構成員の生殺与奪の権利を持っていたり、結婚者が夫に対して従属的な地位にあったりしたことが理解できない。それでそのような制度は、「即自的かつ対自的に」、すなわち、絶対的に「不正」であり、「非理性的」であると論難しているのである。

 また、後年、といっても翌年のことだが、マルクスはローマ法について次のようにいっている。

 「ゲルマンの長子相続等々とは反対に、ローマでは遺言という恣意(しい=自分勝手な考え)が私有財産の発露としてあらわれる。この最後の対立のうちに、私有財産のローマ的およびゲルマン的発展の相違の全体があるのである。」(マルクス、『ヘーゲル国法論の批判』、全集第1巻、P354)
  
 しかしまた、いくつかの法規定は正しくかつ理性的であるとしても、このことをそれらの法規定について明らかにするということは、もっぱら概念によってのみ真実に行われるのである。したがってそれら法規定の出現の歴史的にものを明らかにすること、つまり、それらの法規定の確立を導いたもろもろの事情、場合、必要、事件を明らかにすることとは、まったく別のことである。

 そのように歴史的な近因ないし遠因から明らかにして[実用主義的に]認識することを、世間ではよく、説明することだと言ったり、あるいはむしろ把握することだと言ったりする。そしてこのように歴史的なものを明らかにすることによって、法律ないし法制度を把握するためいっさいが行われるかのように、というよりはむしろ、その把握のためにも肝腎なのはもっぱらこれだといえるほど本質的なことが行われるかのように、世の人は思いこんでいる。ところが反対に、真に本質的なもの、つまり、ことがらの概念(法の体系は、実現された自由の王国であるという概念)は、そのさいぜんぜん話題にはならなかったのである。

 少し前に、ヘーゲルは、「自然法(哲学的法)と実定法のちがいは、「六法」(憲法、刑法、民法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法)と「六法全書」(日本で施行されているすべての法律を網羅したもの)のようなものである」と言っていたはずだが、ここで再び概念による法と現実の法規定はまったく別のものであるという見地に立ち戻っている。

 ヘーゲルは『法の哲学』のなかで自分は法の概念とそれが生みだす体系について論じると言いながら、実際には、法以外のことを論じているのだから、読む人はよく分からないのである。

 後年、マルクスは『経済学批判』のなかで、自分が学び、正しいと信じてきた学問(ヘーゲルの法哲学)について、

 「私の専攻は法律学の研究であったが、しかし私は哲学と歴史を研究するかたわら二次的な学科として法律学を学んだにすぎない」

と言っている。もちろん、簡単に言えばそういうことなのだろうが、少なくとも37年の11月の父親に宛てた手紙では、青年マルクスはヴェストファーレンのミュンスター高等裁判所に入り、そこで判事補となりたいという意向を話していた。

 それがこの頃(1837年秋ごろ)から、青年ヘーゲル派といわれる人々と交流をもち、哲学への関心が高まっている。だから、マルクスがいっていることはまんざらウソでもないのだが、そのマルクスが関心を持っていた哲学の内容について正しく理解している人はあまりいない。

 マルクスは先の父親への手紙の中で「私はあるドクター・クラブに入ることになったのですが、そのうち何人かの私講師と、ベルリンの友人のなかで私の最も親密なルーテンベルク博士がいました。ここでの論争のなかで多くの相容れない見解があらわになってきて、それで私は今日の世俗哲学からのがれたいつもりでいたのに、かえってますます固くそれに縛りつけられていたのですが、しかし響きわたる一切のものは音をやめ、ほんとうの冷笑欲が私を襲ったのです。」(全集44巻、P10)

 青年マルクスが青年ヘーゲル派にたいして抱いていた、「響きわたる一切のものは音をやめ、ほんとうの冷笑欲が私を襲った」ということについてフランツ・メーリングは「彼(マルクス)はこの(ヘーゲルの)哲学を始めから終わりまで勉強し、そのうえ、青年ヘーゲル派の『ドクタークラブ』の仲間に入り、そこで意見をたたかわせているうちに、彼はしだいに『現代の世界哲学』の金しばりになっていった。けれどもそれは、それまで彼の心にほがらかに響きわたっていたものがことごとく鳴りをしずめてしまい、そして、『多くの否定の否定が重ねられて、まぎれもなく皮肉の激怒』が彼を襲ってのちのことであったのはいうまでもない。」(メーリング、『マルクス伝』、国民文庫、1分冊、P54)という。メーリングは、マルクスが最初、ヘーゲル哲学の「グロテスクで巌(いわお)のような旋律が気に入らなかった」ということを「響きわたる一切のものは音をやめ、ほんとうの冷笑欲が私を襲った」ことであるかのように、過去のこととしていうのであるが、マルクスは現在形で語っており、その対象もヘーゲル哲学ではなく「青年ヘーゲル派」と称する「世俗哲学」についてである。また、ここでは「否定の否定」ではなく、単なる否定である。つまりマルクスは「青年ヘーゲル派」と称する人々が、ヘーゲルの名前で、あまりにもおおくのデタラメを語っている(こういう情況は21世紀の現在でもあまり変わらない)ことにたいして、絶句して言葉を失い、冷笑的になっていったのである。

 青年マルクス自身の見地については、父親への手紙の中でくわしく述べている。

 青年マルクスはこれまで行ってきたローマ法の研究について、それが概念から展開していないから「全体がまちがっている」と結論をくだし、法の哲学を学ぶ必要があると考えていた。そこで、

 「一つの幕がおり、私の至聖のものがずたずたに引き裂かれていたのでして、新しい神々が置き入れられねばならなかったのです。

 私が――ついでに申しますと――カントおよびフィヒテの観念論になぞらえてはぐくんできた観念論から私は、現実的なものそのもののうちに理念を求めるところへ行きつきました。神々は、かつては天井に住まっていたとすれば、今では大地の中心になっていたのです。

 わたしはヘーゲル哲学を断片的に読んだことがありましたが、この哲学のグロテスクで巌(いわお)のような旋律は私の気にはいりませんでした。もう一度、私は海にもぐり込みたいと思ったのです。ただし精神的自然を物体的自然と同様に必然的な、具体的な、しっかりと仕上げられたものとして見いだそうという一定の意図をもったものでありまして、もはや剣術を練習しようなどというつもりではなく、純粋な真珠を日の光にかざそうという意図をもってなのです。

 私はほぼ24ボーゲンの一つの対話篇『クレアンテス、あるいは哲学の出発点と必然的進行について』というのを書きました。ここでは、それまでばらばらになっていた芸術と知識とが一つになり、元気な旅人として私は仕事そのものに立ち向かっていったのです。仕事とはつまり神性が概念自体として、宗教として、自然として、歴史としてみずからをあらわしていくそうした神性の哲学的弁証法的展開です。」(全集44巻、P9)

 青年マルクスがめざしていたこの神=自然=概念の「神性の哲学的弁証法」というのは、いうまでもなく、ヘーゲル哲学そのものであるのだが、青年マルクスがいうズタズタにされた「私の至聖のもの」というのはローマ法の研究であり、新しく置き入れられた「神々」というのはヘーゲル哲学である。青年マルクスがベルリン大学でサヴィーニのローマ法の授業を受けていたことはサヴィーニも覚えていて、熱心にノートをとるまじめな学生であったといっていたのだが、その青年マルクスはいつのまにか法学の研究から哲学への本格的な転身を考えていたのである。。

 また、ふつう、よくローマ法の諸概念、ゲルマン法の諸概念(※)というふうに、あれこれの法典に規定されていいる法の諸概念について語られる。ところがそのさい、概念のことは何ひとつ出てきはしないのであって、もっぱらただ一般的なもろもろの法規定、悟性命題、原則、おきてなどがあらわれるだけなのである。

 ※ 参考のために『法の哲学』の最後に掲げられている「ローマ的治世」と「ゲルマン的治世」を引用する。この「治世」、というのは、絶対的普遍性である具体的理念(世界精神)が、おのれの解放(理念が具現化すること)の過程においてとる形成態である。

ローマ的治世

 この治世では区別がとことんまで行われて、倫理的生活は人格的な私的自己意識と抽象的な普遍性との両極へ無限に引き裂かれる。この対立は、貴族制の実体的なものの見方と民主的形式における自由な人格性の原理との対立から発し、徐々に発達して、貴族制の側では迷信と、冷酷で貧欲な権力の固持を生み、民主制の側では賎民の頽廃をひきおこし、こうして全体は解体して一般の不幸と倫理生活の死におわる。ここにおいて、もろもろの個体性としての民族はパンテオンの一体性のうちで死に絶え、個々人はすべて私人格に、形式的な権利を持った同等なものになりさがり、したがってこれらの者を結びつけるものは、憑かれたように狂奔する抽象的思惟だけとなる。

 (その統治下にある人々が「私人格」=抽象的人間として、「形式的な権利を持った同等なものになりさがる」ということは、ブルジョア民主主義がそうであるように、現にあるそれぞれの特殊性を否定するものではなく、逆に、その差異と区別を承認するものであり、ここで死に絶えるものは「パンテオンの一体性」である。だから、カラカラ帝がローマ統治下の人々すべてにローマ市民権を与えたことは、ローマ帝国の一体化を推進したものではなく、逆に属州の独立と離反の推進であった。)

ゲルマン的治世

 おのれのうちへ押しのけられた精神は、おのれ自身とおのれの世界とのこのような喪失と、この喪失の無限の苦痛のために[このような民族と見なされたものにすでにイスラエルの民族がある]、おのれの絶対的否定という極点に立つが、これが即自かつ対自的に存在する転回点をなすのであって、右の精神はこの極点において、このおのれの内面の無限な肯定、神的本性と人間的本性との一体性の原理、すなわち、自己意識と主観性との内部にあらわれた客観的真理と自由との宥和であるかぎりの宥和を把握する。そしてこの宥和を完遂する任務がゆだねられるのがゲルマン諸民族の北方的原理なのである。」(『法の哲学』、世界の名著44、P602〜603)

 (フォイエルバッハはこの「神的本性と人間的本性との一体性の原理」から、彼の哲学を生みだしていったが、ここでヘーゲルがゲルマン民族の特有な原理としての「北方的原理」というのは、「客観的真理と自由との宥和」すなわち、「客観的真理」=現実と「自由」=概念としての自由の宥和であり、十字架=苦しみをバラ=喜びとみなす精神である)

 後年、マルクスは『資本論』の初版本のなかで、等価形態にある商品を形成する労働が抽象的人間労働が具体化したものとしてあらわれることの不可思議性を説明するさいに、「私が、ローマ法もドイツ法も法であると言うならば、このことは自明なことである。これとは反対に、私が、法という抽象物が、ローマ法のうちにもドイツ法のうちにも、すなわち、これらの具体的な法のうちに、実現されている、と言うならば、その関連は神秘的なものになる」といって、ヘーゲルのように法の概念がまずあって、それが具現化して諸々の法体系が形成されること自体を「神秘的」といって否定している。

 以上述べた区別をゆるがせにすることである。真の正当化に関する問いを、周囲の事情からする正当化や、それただけではまあどうせそんなに役に立たないもろもろの前提からの論理的帰結、等々にすりかえてしまうことである。総じて絶対的なもののかわりに相対的なものを立て、ことがらの本性のかわりに外面的な現象を立てることである。

 ここでヘーゲルは前節から続けて、概念的に、すなわち概念の自己展開によって法律が形成されるということが論じられていないことを、外面的で本質的な議論がなされていないと言っている。

 歴史的正当化は、もしそれが意図しているのとは反対のことを無意識のうちに行うことになる。ある制度の成立が、それの特定の事情のもとではまったく目的にかなっていて必然的だということが明らかになり、史的立場の必要とするものはこれで果たされたとしても、もしこれが、ことがらそのものの普遍的な正当化と見なされるというつもりならば、むしろそのつもりとは反対の結果になる。すなわち、そのような周囲の事情がもはや現存しないのであるから、その制度はむしろその意味と権利を失っているわけである。

 後年のマルクスは概念の発達の歴史と現実の発展の歴史はある程度一致すると述べている。概念の発展が現実の発展の結果として与えらている(客観的唯物論の立場)、もしくは現実の発展が概念の発展の結果として与えられている(客観的観念論の立場)としたら、たとえヘーゲルのように客観的観念論、すなわち、概念の発展が現実の発展を生みだすという見地に立っていたとしても、概念の歴史と現実の発展過程はある程度一致しなければならないだろう。ここでヘーゲルがそのようなものとして議論を展開することができないことは、むしろ、ヘーゲルが「ことがらの本性」を正しく把握していないためであろう。つまり、歴史の発展過程を概念=「自由」の発展過程としてみるヘーゲルの立場そのものに問題があるのではないか、という素朴な疑問を生じさせる部分である。

 このことについてはヘーゲルは自分が言っていることは正しくないという自覚があるのか、くどくどと「哲学としての法」と実際の法は違っており、違っていてもいいのだということをくりかえしている。

 たとえば修道院の維持のために、修道院が荒涼の地方を開墾して人を住まわせるようにして、読み書きを教えたり、古文書を筆写したりして学識を保存した等々の功績が主張され、そしてこの功績が修道院の存続のための理由および使命と見なされたとすれば、その同じ理由から、修道院は、周囲の事情がまったく変化した以上、少なくともそのかぎりでは、むしろよけいなもので、目的にかなっていないことになったのである。

 ここでヘーゲルが持ち出している例は、あまり適切ではない。修道院の目的、すなわち、キリスト教を修行するというという目的で建設された施設で、開墾事業を行ったり、学術研究を行ったり、教育活動や福祉活動を行ったりするようになったのは、中世の唯一のイデオロギー機関として存在していたキリスト教施設が社会の要請で行っていたものであり、キリスト教会はそのような教育活動や文化活動を通して中世社会で社会的権威を高めていったのである。そのかぎりでは「周囲の事情がまったく変化したために」、「修行」のやり方が変化したのである。ヘーゲルは修道院の「修行」のやり方が変わったから、修道院は目的に合致しなくなったというのだが、それはものごとを固定的に見ているからであろう。


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ヘーゲル法哲学と歴史法学派 その2 労働者のこだま(理論)/BIGLOBEウェブリブログ
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