労働者のこだま(理論)

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zoom RSS 夕暮れの哲学から哲学の夕暮れへ その2

<<   作成日時 : 2008/08/08 00:47   >>

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B 古代ローマ共和国の崩壊とローマの哲学の出現
 
 つぎの古代ローマ共和国の崩壊時代も古代ギリシアの末期と同じようなものであるが、この時代には、奴隷制度の動揺というもう一つの不安定要因が存在していた。
 
 古代ローマ共和国も、その最良の時代には、自営農民の自由な分割地所有に基礎を置いていた古代民主主義が存在しており、それは古代ギリシアと同様に貨幣経済の発展とともに、土地を失いプロレタリー(無産市民)へと転落するローマ市民を大量に生みだし、形骸化していったが、ローマではこの一部の者への富と土地の集積は大人数の奴隷を使用する大土地所有制度(ラティフンディウム」として発達した。
 
 また無産市民(土地を失ったローマ市民)は平民会での議決権を土地を失っても保持していたため、権力者はこの無産市民に「パンと見せ物」を提供して彼らの関心を買おうとした。この見せ物というのが円形劇場で開催された剣奴たちの決闘であった。
 
 このように共和制の終末期には奴隷を一個所に多数集結させることが多く、このような奴隷が反乱を起こして大規模な争闘に発達する場合がしばしば起こった。(スパルタカスの反乱、第1次、第2次シシリー島の奴隷反乱)
 
 このような奴隷反乱は苛烈な弾圧によって鎮圧された(スパルタカスの反乱に参加して捕虜になった奴隷6千人全員がアッピア街道ぞいにえんえんと十字架にかけられ見せしめにされている)が、ヘーゲルはこのような暗い時代にも哲学は出現したという。
 
 しかし、前もって言っておかなければならないのだが、ヘーゲルは一般的に言って、この時代の哲学が好きではない。ヘーゲルのローマ嫌いは有名だが、それにもまして、彼はこの時代の哲学として存在していたエピクロス派ルクレーティウスの無神論、唯物論、ストア派キケロの理性主義、懐疑派カルネアデスのエポケー(判断停止)を嫌っている。ルクレーティウスは『哲学史』のなかでは名前すら抹殺されていし、キケロはボロクソに批判されている。カルネアデスのみがかろうじて公平に扱ってもらっているが、それは懐疑派の哲学が他の二派の批判哲学として意義をもっていたからである。
 
 『哲学史』のなかではヘーゲルはローマ嫌いの理由をつぎのように説明している。
 
 「このようにして哲学はローマ世界へと移ってゆく。もちろんこれらの哲学の担い手はまだギリシア人であったし、その偉大な教師たちはいつもギリシア人であった(これらの哲学はギリシアで生まれた)が、それにもかかわらず、とりわけこれらの体系は、ローマ人の支配下で、ローマ世界の哲学となったのである。理性的で実践的な自己意識にそぐわないローマ世界に背をむけて、自己意識は外なる世界から自分のうちにおしやられ、合理性をただ自分の内に、しかもただ自分一個のためにのみ求めるほかなく、――それはちょうどキリスト教が抽象的に自分たちだけの魂の救済を求めたように――ただ自分のためにのみ心をくだいた。明朗快活なギリシア世界では、主観は自分の国家や世界とよりよくつながっていて、より積極的にその国家や世界に参与していた。現実の不幸のなかで、人間は自分の内に追いこまれ、もはや世界では見いだしえない合一を自分の内に求めなければならない。ローマ世界は抽象の世界である、――すなわち、ただ一つの支配が教養世界に君臨している。諸民族の個性は抑圧され、なじまない他所 (よそ)の権力が抽象的な普遍として個人にのしかかった。このような分裂の状態で、満足をさがし、見いだすことが要求される。重きをなしたものが抽象的意志であったように、世界の支配者の個別意志も抽象的なものであったように、思考の内的な原理もまた抽象的な原理でなければならず、それはただ形式的で主観的なやわらぎを生みだすことしかできなかった。ローマには抽象的な支配の原理しかなかった。それゆえ、ローマの精神にぴったり合致しえたのは、知性の形式によってうちたてられ、効果を示した原理を基礎とする独断論だけであった。哲学はこの世界をどう思いえがくかということと密接に関係している。諸民族の生き生きとした個性を内面的に押し殺したローマ世界は、なるほど形式的な愛国心やそれにふさわしい徳や、発達した法の体系などを生み出したけれども、思弁的な哲学はそのような死のなかからは生まれようがなく、――生まれ出たものといえば、優秀な弁護士やタキトゥスの道徳ぐらいのものであった。これらの哲学はローマ人のもとでも、古い迷信に対立するものとしてあらわれた。哲学は宗教にとってかわるのである。」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P158〜159)
 
もちろんヘーゲルがこの時代の哲学をこのようにいうのはまったく正しくない。ヘーゲルが言っているのは、ローマ帝国の時代の「ローマ法の支配の時代」のことであり、この時代のことではない。
 
 ローマの法律は二つの異なった系統で発達している。一つは、共和制ローマ以来続いた平民と貴族の闘争と妥協の過程で成立したいくつかの法律でローマ市民法と呼ばれるものである。これはローマの市民権を持った者にだけ適用されるもので、有る意味でローマ市民の特権(土地の分配の仕方や官職の選挙権、法律の制定権、その他の諸権利)を保障したものであり、奴隷制を基礎に置く古代民主主義を成文化したものである。
 
 これに対して、ローマの属州では別の法原理が成長していた。それは「万民は正義と公正にもとづくただ一つの法律のもとに置かれるべきである」という「万民法」の思想である。たしかに、キケロはこの「万民法」の基礎にロゴス(理性)を置き、理性=自然とすることによって万民法としての自然法を提唱したが、それは「市民法」とは区別されたものとしてである。
 
 この「万民法」=「自然法」とローマ市民法が一致するのは、212年にカラカラ帝がローマ市民権を全属州自由民に与えて、属州民とローマ市民の政治上、法律上の区別をなくしたときである。
 
 この現に存在する民族、宗教、地域の区別を捨象して、抽象的人間として、その行為を法律によって規制し、統制し、秩序立てるローマ法の原理は、ローマ共和国がイタリア半島以外の海外に属州(ローマの占領地)を多く抱えるようになって、その統治に苦慮していたローマにとって必要なものとして、望まれ生まれてきたのである。つまりローマは最古の法典であるハムラビ法典がそうであったように、身分や階級ごとに刑罰を定める階級法ではなく、民族も宗教も異なる他民族を“抽象的人間”、すなわち人間一般としてその行動を統御して統治する方法を選んだのである。
 
 ローマ法はこの抽象性ゆえに、封建時代にもヨーロッパで生きのびることができたが、その後、ナポレオンによって「ナポレオン法典」としてナポレオンの征服地、すなわちヨーロッパに適用される。
 
 だからここではヘーゲルは、むしろナポレオンのヨーロッパ征服とその結果ドイツに押しつけられた「ナポレオン法典」について述べているのである。ブルジョア的自由主義者であり、なおかつ、排外主義的なゲルマン民族主義者であったヘーゲルが、「諸民族の生き生きとした個性を内面的に押し殺したローマ世界(ナポレオンのヨーロッパ支配)は、なるほど形式的な愛国心やそれにふさわしい徳や、発達した法の体系などを生み出したけれども、思弁的な哲学(自分の哲学、すなわちヘーゲル哲学)はそのような死のなかからは生まれようがない」と嘆いているのである。
 
 ある意味でこのヘーゲルの“告白”は意外である。というのは、これは有名な話であるが、彼の最も有名な著作である『精神現象学』はナポレオンが彼が住んでいたイエナの町を占領したその夜に完成したからである。ナポレオンは翌日にはイエナ近郊のアウエルシュタットでプロイセン軍を打ち破って、ベルリンはナポレオンの占領するところとなる。
 
 この時ヘーゲルはイエナに入城したナポレオンを目の当たりにして「私は、皇帝、この世界精神が町を通って陣地偵察のために馬を進めるのを見た。この一地点にあって馬上に座しながら、しかも全世界をおおい、支配する人を見るというということは、まったく何とも言えない感じがする」という手紙を書いている。
 
 人類の歴史が自由への行程であり、その推進力が“世界精神”であるというのであれば、ここでヘーゲルは人類に自由をもたらす馬に乗った英雄を見たのであろうが、このヘーゲルのナポレオンの支配にたいする幻想はたちまち消えてしまったようだ。
 
 しかし、ヘーゲルはこのような古代ローマ共和国崩壊期の哲学の一般的な特徴づけから離れて、個別的な哲学の特徴を述べるところにくると冷静な思弁哲学者に戻っている。
 
 最初にストア学派について
 
 「ストア派の人たちは、普遍的なもののところに立ち止まっている。それが彼らの一般的な目的である。どの個別的なものも一つの理性のうちに包括されているのであるが、この理性がまた宇宙そのものである普遍的な理性うちにある。ストア派の人たちは理性的なものを自然一般の能動的な原理とすることによって、自然現象の一つ一つを神の顕(あらわ)れととらえた。そしてこう考えることによって、彼らの汎神論は、世間一般の神々についての卑俗な考え方やそれとつながる迷信や、すべての奇蹟信仰、さてはまた[前兆、予言、占いといった]天啓と結びつく。すなわち、自然のうちには神のお告げがある、だから人間は礼拝や勤行によってそれを受けとめねばならない、という考え方である。エピクロス派は、人間をそのような[迷信的な]考え方から解放しようとする。それに反してストア派はまったく迷信にとらわれている。したがってキケロはその著『天啓について』の大部分をストア派の人びとから採っているので、その多くがストア派による説明として語られている。キケロは人間の身辺におこるさまざまな出来事の前兆について語るのであるが、――これはいかにもストア哲学にありそうなことである。たとえば、鷲(ワシ)が右に飛ぶと、彼らはそれを神のお告げととらえ、それによって、神はこのような場合どうしたらよいかを人間に暗示している、と見た。私たちはストア派が普遍的な必然性としての神について語るのを見てきたが、彼らはまた、特殊な神々についても語っている。理性としての神または人間や人間の目的とも関係しているのであって、この点では神は摂理である。このようにして彼らは特殊な神々を考えるにいたったのである。キケロは以下のように述べている。『クリュシッポス、ディオゲネス、その他の人々はつぎのように推論する。すなわち神々が存在し、そして彼らが未来に起こるべきことをあらかじめ人間に暗示しないとすれば、神々は人間を愛していないのか、あるいは未来に起ころうとすることを、神々自身が知らないのか、あるいはまた神々が、人間ごときがそれを知ろうと知るまいとどうでもよい、と思っているのか、あるいはまた神々がそのような啓示は自分たちの威厳にふさわしくないと考えているのか、はたまた神々がそれを人間に認識させることができないか、そのいずれかである。』これらすべてをストア派の人たちは(神々の恩恵にまさるものなし、などといって)打ち消す。そして彼らは『神々は人間に未来を知らせる』と結論する。――この理屈からすると、個人のまったく特殊な目的までもが、神々の関心事であることになる。[しかし]ときには[人間を未来に]介入させることができ、また時にはできないというのは筋が通らないことであり、したがって理解できないことである。だがまさにこの筋の通らないということ、理解できないということが、[この考え方の]勝利の喜びなのである。したがってローマの迷信の全部が、ストア派の人たちをそのもっとも強力な庇護者としたのであって、すべての皮相で浅薄な迷信は彼らによって擁護され、正当化される。ストア派は、理性は神であるという規定(理性は神的であるが、しかし神的にものすべてをつくしているわけではない)から出発しながら、すぐさまこの一般論から特殊的なものを扱う議論に飛躍する。真に理性的なものは、もちろん人間に神の掟として啓示されている。しかし個別的な目的にふさわしい有用なものはこの真に神的なもののうちには啓示されていない。だがストア派は、個別的な目的に役立つものも啓示されているという主張に飛躍してしまったのである。」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P177〜179)
 
 エピクロス派についてヘーゲルはあまり高く評価をしていない。古代唯物論の完成としてのデモクリトスでさえヘーゲルはあまり評価はしていない。(レーニンは「ヘーゲルはデモクリトスを継子あつかいにしている」といっている。)
 
 「原子論は一般的にいって、自分に外的な本質による世界の創造と保存の観念に反対する。自然研究は原子論においては、何らの世界原理をもたないという観念を脱したという思いをもつ。なぜなら自然が他のものによって創造され、保持されると考えられるとすれば、自然は即時に(そのものとして)存在するものとは考えられず、したがって自分の概念を自分の外にもつものと考えられるからである。そうすると、自然は自分に外的な原理をもつことになる。すなわち自然そのものは何らの原理をもたず、それはただ他のものの意志によってとらえられるものとなる。あるがままの自然は偶然的であり、必然性とそれ自身における概念をもたないことになる。ところが、原子論の観念のなかには自然一般の即時性[自存性]の観念がある。すなわち思想は自然のなかに自分自身を見いだすのである。いいかえると、自然の本質は、それ自身思惟されたものなのである。概念はここに、まさに自然を概念するという喜びを、すなわち自然を概念として定立するという喜びを見いだすのである。こうして自然は抽象的な本質という形において、自分自身のなかに自分の根源をもち、単純に向自的にある。原子と空虚とは、このような単純な概念である。けれども一般的にいって、まったく一般的で単純な原理、一者と連続性の対立がたてられるというこの形式的なもの以上のものを、われわれはここに見ることはできないし、また見いだそうとしてはならない」(『哲学史』、上巻、ヘーゲル全集11巻、P395)
 
 ヘーゲルはデモクリトスの原子論、すなわち、自然は自己運動をしているという唯物論を「概念は自然を概念として定立する」と言いかえることによってのみ承認する(ヘーゲル哲学にあっては主語はあくまでも概念でなければならない)のだが、それでもそれは「一者と連続性の対立」としての「原子」(分割の極限として不可分のもの)の存在にかぎられるべきで、それ以上のものを見いだそうとしてはならないとクギをさしている。
 
 デモクリトスでさえこのような有様であるから彼の理論を修正したエピクロスにいたってはボロボロに批判されている。
 
 「原子にはさまざまな形があるが、その運動もさまざまである。原子のこのような多種多様さから、それに由来する性質とよばれる多様なものが生まれる。そもそもの形や大きさ、あるいは原子の形や大きさがどのようなものかはエビクロスの勝手な作り話である。原子はまた重さによって運動する。しかしこの運動は直線からいくらかそれた方向をとる。エピクロスはそれを曲線運動と呼び、それによってたがいに衝突しあうことが可能になる、などとする。これによって特殊な堆積や立体配座が生まれる。すなわちこれが事物である。その他の自然的性質である味やにおいは、その根拠を、分子のある違った配列にもつ。しかしそこには後者から前者にいくいかなる橋もない。あるいはまた、もろもろの部分の秩序や配列が、それらの現象がこのような現象になるのに、ちょうど必要な具合にできているのだという空虚な同義反復が行われているにすぎない。原子はもともとそのようなものであるとか、そのように形成されているなどという原子の規定はまったくの思いつきの作り事である。物体の具体的な現象への移りゆきについて、エピクロスはまったく論じていないか、ないしは、それに関して述べているとしても、述べられていることは、それ自体としてまったく貧弱なものである。」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P234〜235)
 
 原子が一つの科学的仮説である以上、その仮説の証明には、当時の古代ギリシア・ローマの科学技術の水準をはるかに超える科学が必要であり、それがなされない限りヘーゲルが言うように「勝手な作り話」といわれても仕方のないことなのだが、ここでヘーゲルを怒らせているものは、それ以上に、エピクロスがデモクリトスの原子論を少し修正して原子は直線から少しそれる、といっていることである。つまりデモクリトスの原子論は“重さ”という自然法則にしたがって垂直的な落下運動をするだけの必然の支配する世界であるのだが、エピクロスは「まったく不定な時に、不定な位置で、進路を少しそれ、運動に変化をもたらす」「曲線運動」を導入することによって、恣意的な運動を導入して、運命(必然)からの「自由」を主張しているのである。
 
 客観的観念論者のヘーゲルと主観的唯物論者のエピクロスはまったくの思想的な位置が対極であるのだから、このような相互の意思の疎通がないことは十分に理解できることなのだが、不思議なことにエピクロスとヘーゲルが一致していることが一つだけある。
 
 それは神々が住んでいる場所についてである。
 
 「エピクロスは神々を空虚な空間、すなわち雨や風や雪などに身をさらされることのない世界の中間的空間(思想)に住まわせた。というのも、この中間的空間では、空虚が原子の運動原理であり、原子それ自体が空虚のうちに存在するからである。私たちが目のあたりにする現象の世界は、原子の充満体であり連続体であるが、しかしまた内面的にあれこれさまざまにつながったものである。したがってこれらの世界は、このような原子の結合体であるが、それは結合体といっても、ただ外的な関係であるにすぎない。それゆえまたそれらの結合体のあいだには空虚としての根源的存在が、すなわちそれ自身原子の集合体であるが、いつまでも変わることのない根源的存在である集合体としての本質的な存在があるのである。(しかしこれ以上詳細に規定しようとすると、混乱に陥ることになる。というのは、この原子の結合体は感性的なものを構成するからである。もし神々もまた原子の結合体であるとするならば、神々はこのような本来的な意味での現実的なものではなくなるであろう。無思想的な仕方で、ほかならぬ普遍的なもの、すなわち自体的なものが、現実から、それも原子としてではなく、むしろそれ自身これらの原子を結合したものとして取り出されるのであるが、そうなるとこの結合体そのものは感性的なものではない。)この考え方は滑稽に思われるが、それは前述の中断や、空虚と充満ないし原子との関係と関連している。したがってそのかぎりにおいて、神々は感性的なものに否定的なものの側に属しているのであり、そしてこの否定的なものは思惟である。この意味でエピクロスが神々について語ったことを、私たちはまだ部分的にではあるが肯定することができる。たしかに神の規定にはもっと客観性が必要であるが、神は至福の存在であり、神がただ神そのものであるがゆえに尊敬されるべきである、というのはまったく正しい。」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P257〜258)
 
 エビクロスは神々は現実の世界(充満体)と現実の世界(充満体)のあいだにある中間的世界(空虚)に住んでいるという。(マルクスは「エピクロスの神は世界と世界のすきまに住んでいる」といっている。)
 
 エピクロスは神の住んでいる世界と人間の住んでいる世界を峻別し、神は人間の手の届かないところで何不自由なく幸せに暮らしており、人間が何をしようとまったく気にしないのだから、神は人間に何か悪さをしたり、何か福を与えるものではない、つまり、エピクロスは人間にとって神々というのは人畜無害な存在なのだから、恐れたり、怖がったり、福を期待してうやまったりする必要がないというのだが、ヘーゲルはこの神が人間の手の届かない世界に住んでいるがゆえに、人間に利益も災いももたらすものではないというエピクロスの見解に賛同する。それはエピクロスが神々を人間にとってどうでもいいものと考えているのに対して、ヘーゲルは神が人間の手の届かないところに住んでおり、人間に害も益も与えないがゆえに神であり、神は神ゆえに尊いと考えているからある。
 
 つまりヘーゲルの神はたぶん精神的なものであるが、エピクロスの神は人間のようなものであり、原子の集合体(感性的な存在)であるという。
 
 それ自体として空虚な世界にある存在がなにゆえに、現実的であり、感性的たりうるのか、ヘーゲルは怒りを押し殺して、こういうことを深く考えると頭が混乱するからあまりまじめに考えない方がいいという。(デモクリトスもエピクロスもそれ自体として運動する原子を自分たちの哲学の基礎にすえているのだから、本来なら、神という“外的自然”は必要はないのであるが、エピクロスは神を信じる世間に妥協して、神は存在するといっているだけである。だからその住んでいる場所を中間的宇宙という世界の果ての向こう側に指定しているのである。)
 
 ローマ共和国の崩壊期のもう一つの哲学は懐疑派と呼ばれる人々であり、彼らのなかではカルネアデスが有名である。
 
 『哲学史』のなかでヘーゲルは、彼の略歴(ギリシアで生まれ、“哲学使節”としてギリシアの哲学をローマに紹介するために、ローマに派遣された)を述べたあとで、「カルネアデスの明敏さと雄弁さと論証力、および彼の大いなる名声はローマにおいて多くの注目を引き、大きな賛同を呼びおこした。ここで彼はアカデメイア派のやり方にしたがって正義についての二つの講和を行った。一方は正義に味方する話であり、他方は正義に反する話である。両方の論が一般に何に基づいているかは容易に見てとれる。正義を正当化する論では彼は普遍的なものを原理としてたて、正義を否認する論では利己性を認めつつ個別性の原理をたてた。概念がまさしく対立するということをほとんど知らなかったローマの青年たちには、このことは何か新しいことであった。彼らは思想のこのような方向には何のイメージももっていなかったが、大いにそれに魅了され、たちまち夢中になった。そして彼の講義は聴講生であふれた。しかし年配のローマ人たち、とりわけ当時まだ生きていた大カトー(監督官)はそれを見てきわめて不愉快に思い、大いに反対した。若者たちが、この考えによってローマにおいて大切にされてきた心象や徳の確固たる基礎から切り離されたからである。悪弊は蔓延(まんえん)するとばかりにカイウス・アキリウスはすべての哲学者を都市から追放すべしとの提案を元老院で行った。そのなかにはもちろん、とくに名指しではないとしても、あの(ギリシアの)3人の(哲学)使節も含まれていた。しかし大カトーは元老院を動かして、使節たちについての案件を即座に片付けて、彼らが出ていき、自分たちの学校にもどり、ギリシアの師弟たちのみを指導するように、ローマの青年たちは以前のようにローマの法と統治に耳を傾け、元老院議員との交わりから知恵を学ぶようにした。」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P280〜281)という。
 
 ヘーゲルはこのローマによるギリシア哲学使節の追放を堕落といい、「思考の展開が推し進められる転機というものは民族の形成において必ず到来するものであるが、古い体制や古い固定秩序にとっては悪とみなされるのである。しかし思考のこの悪は法のごときものによって押しとどめられるものではない。それは、思考そのものによって真なる仕方で思考を生みだしたときに、思考自身によってのみ癒されるし癒されなければならない」(『哲学史』、中巻の二、ヘーゲル全集13巻、P281)ともいう。
 
 (ここでカルネアデスがローマに紹介した弁証法的な議論のうち、ヘーゲルが「正義に反する話」というのは有名な「カルネアデスの舟板」である。海で遭難して舟板につかまっている人が、自分も助かろうとして舟板にしがみつこうとする人をけ落としておぼれさせる行為は正当かどうか、云々という話は現在では「緊急避難」として日本の刑法[37条1項]も処罰をしないむねを規定している。)
 
 カルネアデスばかりではなく懐疑派は一般的に、ストア派の“常識的な”正義や道徳にも、エピクロス派の原子論にも、独断的であるとして、懐疑的である。だからこそ彼らは懐疑派と呼ばれているのであるが、懐疑派と呼ばれている理由はそれだけではない。
 
 それは彼らの哲学的な立場が単なる懐疑にとどまっており、自ら積極的なものを立てようとはしなかったからである。
 
 懐疑派はなるほど、「思考、表象、感覚はともどもわれわれを欺く」(間違った思考、間違った表象=仮象、間違った感覚は存在する)という(この命題は客観的に見て正しい)。ではどうすればわれわれは誤りを避けて正しい認識に到達できるのだろうか?そのことについて彼らは何も答えない。彼らが言うのは、ものごとの善悪あるいは真偽の判断には誤謬の可能性があり、これは心の動揺不安の源泉であるので、心の平安を保つためには判断をしないこと(エポケー=判断停止)である、ということにつきる。
 
 何もせず、何も考えなければ、失敗することはないというのは半分の真実でしかない。人は何もせず、何も考えないことによって失敗することもあるのである。
 
 以上、ローマ共和国末期のストア派、エピクロス派、懐疑派の哲学を総括してヘーゲルは、現実の提示する一切のものにたいして我関せずの態度をとらせることにあったとして、各派に共通する態度として現実からの逃避を見ていた。
 
 もちろんマルクスの見方はもっときびしい。『ドイツ・イデオロギー』(全集3巻)ではつぎのように書いている。
 
 「古代の解体期における最後の古代哲学の現実的意義をはかるためには、お人好しのジャック(フランスの貴族が農民を侮蔑した言い方)はローマの世界支配下でのそれらの哲学的流派の人々の現実的な社会的地位を見てみさえすればよかったであろう。彼はなかんずくルキアノス(※)のところで、彼らが民衆から町の道化師として見なされ、ローマの金持ちや地方総督等々からは館の茶坊主として慰(なぐさ)み用に雇われて、食卓越しに奴隷たちと骨の一、二本、パンの切れはし二、三片の取り合いでケンカをやり、別な酸っぱい酒をあてがわれたあとでご主人様とその客人たちをアタラクシア(平穏)、アパシア(茫然として言葉が出ない)、ヘドネー(快楽)などというおかしげな言葉で楽しませた様が詳しく書かれているのを見いだしたはずである」(『ドイツ・イデオロギー』、全集3巻、P128)
 
 ※ルキアノス――シリアの生まれ。小説家・詩人。マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝時代に、ギリシャ語で様々な散文作品を書いた。軽妙なユーモアと痛烈な皮肉で、ありとあらゆるものをからかい、罵倒した。彼が特に目の敵にしたのは、当時盛んにいた似非哲学者や似非予言者、神秘主義者らである。
 
 わざわざ哲学者嫌いのルキアノスを引き合いに出しているところに当時のマルクスの悪意を感じるが、もちろん、ここでマルクスがいっているのは歴史的事実ではなく、ルキアノスの作品について書かれていることである。
 
 C ローマ帝国の没落と新プラトン主義ないしアレクサンドリア派哲学の出現
 
 ヘーゲルはこの時期の哲学を、「内面的には死んでいたローマ帝国の没落に、アレクサンドリアの新プラトン派の哲学者たちの古代哲学の高い、いや極めて高い発達は結びついていた」と絶賛している。
 
 しかし、「内面的には死んでいた」(哲学として積極的なものを喪失していた)ところから、いかにして古代哲学の「きわめて高い発達」が生まれることができるのであろうか?
 
 新プラトン派の哲学は「流出説」を提唱していた。この派のプロティノスは、あのクセノファネスの「一にして全なる一者」=神=最高完全な「善」から出発する。
 
 プロティノスによれば泉から水が枯れることなく流れるように、この「一者」=神からの「流出」によってすべてのものが生みだされる。
 
 最初に、「一者」=神から生みだされるものはヌース(理性)であり、理性の集合体としてそれは「イデア界」を構成する。つぎに生みだされるのは霊魂界(世界霊魂と個人の霊魂)であり、3番目にやっと自然界(人間界)が生みだされる。
 
 物質はもちろんこの3番目の最下層に位置するものであるが、それは「一者」=神によって生みだされたものであるがゆえに、自立的な存在とは言えないし、自立的でないという点でそれは非存在である(真の存在ではない)。またそれは、至高なる一者からの流出の最後に生みだされているがゆえに、不純物にまみれ、汚れており、卑しいものの部類に属する。
 
 さらに自然界は影の影であるとはいえ、「一者」=神によって生みだされたものであるから「テオリア」をもつ。この「テオリア」という概念はむずかしいが、早い話、革共同革マル派の黒田寛一氏の「反省規定」のようなものである。サケが自分の生まれた川を遡上することを本能にすり込まれているように、「一者」=神からの流出によって生みだされた卑しい者どもは「一者」=神への照り返しというか、帰巣本能というか、「一者」=神へ帰ろうという指向をもっている。これが「反省」もしくは「自分自身をみること」ともいわれるのは、いうまでもないことだが、ここでいう自分とは「一者」=神からの流出の結果生まれたものであるかぎり、どんなにその身体が汚れてしまっていても、もとをただせば「一者」=神だからである。
 
 もちろん人間には「テオリア」があるといっても、「流出」(神からの下降)と「テオリア」(神への上昇)は同じエネルギーの支出によってなされるわけではない。サケの遡上がサケにとって必死の努力が必要なように、「テオリア」には大きな努力が必要である。
 
 禁欲的な生活によって感性的なもの(この世の汚れたもの)と縁を切り、ひたすら魂の浄化に心がけ、自分のなかの霊的なものを高めることが必要である。
 
 しかし、これは哲学だろうか?もちろん宗教哲学という哲学の範疇を認めるかぎりそれは哲学であろうし、キリスト教はこのような宗教哲学と手を携えてローマ帝国で広まっていったのである。
 
 そして、キリスト教の流布がローマ帝国の衰亡の一つの反映であったように、現実の困難の救済を「魂の神の国への回帰」によって救済しようという哲学はまさに、ヘーゲルが言うところの「実存世界の滅亡との宥和」としての哲学であり、崩壊する社会の哲学的な表現にすぎないものである。
 
 そういう点において、このローマ帝国崩壊期の哲学の神学への屈服において、哲学と「実存世界の滅亡との宥和」は完成したと言えるだろう。
 
 ところが『法の哲学』において、いわれている「ミネルバのふくろうはたそがれ時に飛ぶ」ということは、このような「竹林のおしゃべりスズメ」のなれの果てのことではない。
 
 ヘーゲルはわれわれが引用した序文の少し前で、つぎのようにいっているのである。
 
 「 [ここがロードス島だ、ここで跳べ]
 
 存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人にかんしていえば、だれでももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。何らかの哲学がその現在の世界を越え出るのだと思うのは、ある個人がその時代を飛び越しロードス島を跳び越えて外へ出るのだと妄想するのとまったく動揺におろかである。その個人の理論が実際にその時代を越え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界をしつらえるとすれば、このあるべき世界はなるほど存在しているけれども、それはたんに彼が思うことのなかでしかない。つまりどんな好き勝手なことでも想像できる柔軟で軟弱な境域のうちにしか存在していない。
 
 さっきの慣用句は少し変えればこう聞こえるであろう――
 
 ここにローズ(バラ)がある、ここで踊れ
 
 自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性とのあいだにあるもの――前のほうの理性を後のほうの理性とわかち、後者のほうに満足を見いださせないものは、まだ概念にまで解放されていない抽象的なものの枷(かせ)である。
 
 理性を現在の十字架におけるローズ(バラ)として認識し、それによって現在を喜ぶこと。この理性的な洞察こそ、哲学が人々に得させる現実との和解である。」(『法の哲学』、世界の名著44、P171〜172)
 
 「現実との和解」だって?!ここでは「現実世界の滅亡との和解」はいつの間にか、「現実との和解」に変えられてしまっている!
 
 しかもヘーゲルは「存在するものはすべて理性的である」とさえいっている!ヘーゲルはいつからストア哲学に趣旨替えしたのであろうか?ヘーゲルにおいても、ストア派にしても理性=神であるのであるから、ヘーゲルは「存在するものはすべて理性的である」というのであれば、鷲が右に飛ぶときにはどのような理性=神意が示されているのか説明すべきであろう。しかも『哲学史』のなかでは、「真に理性的なものは、もちろん人間に神の掟として啓示されている。しかし個別的な目的にふさわしい有用なものはこの真に神的なもののうちには啓示されていない」と言っていたのだから、なぜ理性的なものが個別的なものにまで示されるようになったのか説明がいるであろう。
 
 また、ヘーゲルはこの「現実との和解」というのは、現実の十字架(苦しみ)をバラ(喜び)と認識することであるという。これも概念の哲学者にはまったく似つかわしくはないものいいである。十字架は十字架であり、バラはバラであろう。もしこの二つのものが同一なものであるというのであれば、どのような内的な関連によってそうであるのかを示すことが弁証法なるものであろう。それを抜きにしてただ提示するだけというのではそれは単なる宗教にすぎない。
 
 このヘーゲルの“心変わり”についてヘーゲルはいう。
 
 「哲学するという営みと自称するこの浅薄さの一人の将帥、フリース氏は、ある祝祭的な、悪評高くなったおおやけの機会に、国家と憲法という題目の演説のなかで、つぎのような考えを述べることをあえてした。すなわち、『真正の共同精神が支配しているような国民であれば、おおやけの諸問題のどんな仕事にも生命は下から、国民からやってくることであろう。国民教育と国民的奉仕のどんな個々の仕事にも、生きたもろもろの結社が友愛の聖なる鎖によって固く結ばれて、身を捧げることであろう』等々と――
 
 浅薄というやつのおもな了見は、学を思想と概念の展開のうえに立てるかわりに、むしろ直接的な覚知と偶然的な思いつきのうえに立てようとすることである。だが倫理的なもののそれ自身のなかでゆたかな分節と編成こそ、国家である。そして国家の理性的なあり方の建築術は、公的生活のもろもろの圏とそのもろもろの確たる権能の区別により、またそれぞれの柱・アーチ・控え壁が保たれる度合いの厳密さによって全体の強さを諸部分の調和から生じさせるのである。ところが、浅薄さというやつの了見は、国家というこの形成された建築物を、『心情、友情、感激』という粥(かゆ)みたいなもののなかへいっしょに溶かしてしまおうとするのである。」(『法の哲学』、世界の名著44、P162)
 
 フリースはイエナ大学時代の同僚(フリースはカント哲学を教えていた)であるが、ヘーゲルは彼を嫌っていた。もちろん、それは個人的なことでではない。
 
 ナポレオン失脚後の1814年に開かれたウィーン会議の結果、ドイツは35の君主国と四つの自由市からなるドイツ連邦が形成され、フランクフルトに連邦議会が置かれた。
 
 しかしこの議会の議員は君主が指名し、議長はオーストリアに決められていた。だからオーストリアのメッテルニヒはドイツ連邦を裏からあやつってドイツの自由主義、民族主義をきびしく取り締まっていた。
 
 このようななかでイエナ大学の学生たちが1815年にブルシェンシャフト(学生組合)をつくってドイツの自由と統一のために闘いはじめた。(イエナ大学の教授をしていたフリースはこの学生たちの運動を支援していたのでそれがヘーゲルのしゃくの種の一つであった。)
 
 1817年になると学生たちの運動は全ドイツに広がり、ドイツの学生たちはワルトブルクの古城に集まり、宗教改革300年祭とライプチチヒ戦勝記念祭が開かれて、学生たちがデモを行った。これがヘーゲルがいまいましげに「ある祝祭的な、悪評高くなったおおやけの機会」とかたる事件の顛末であるが、この事件を受けてプロシア政府はヘーゲルをベルリン大学に招聘した。プロシア政府は彼の哲学によって学生たちの思想を穏健化しようとしたのである。
 
 ヘーゲルはこのプロイセン政府の要望に答えるために、ベルリン大学に移ったが、フリースはワルトブルクでの演説が不穏であるということでイエナ大学を追われている。
 
 翌、1819年には反動的でロシアのスパイではないかと疑われていた詩人のコッツェブーがザントという学生に暗殺されるという事件が起こり、ヘーゲルとドイツの支配階級はさらに反動化していく。
 
 このような状況のなかで『法の哲学』は書かれたのだが、この著作のなかでヘーゲルに一貫しているのは当時のプロイセンの啓蒙的絶対王政を擁護し、当時のドイツに生まれた自由と統一の機運に反対することでしかなかった。
 
 ヘーゲルはこのように至った事情を説明していう。
 
 「哲学する営みの方式の重要さは、周囲の事情によって諸連邦政府のもとで新たにされた。その点では、哲学が他の多くの方面にそれを必要とするようになったと思われる保護と助成の契機を見誤ることはできない。
 
 (情けないことに、ヘーゲルはここで学生の思想訓導のために彼の哲学が必要とされたことにたいして諸連邦政府にたいして、むしろメッテルニヒにたいしてというべきだろうが、敬意を表し、自分が与えられた役割を間違えることはないと保証している。)
 
 なにしろ、実証的な諸学の分科のものや、同様になお宗教的な教化ものや、他の定かではない文献の、これほどたくさんのもろもろの産物を読んでみれば、そこにはただ、さきに言及した哲学への軽蔑が示されているばかりではない。つまり思想形成においてすっかりおくれている連中、哲学が彼らには何かまったく縁遠いものであることを同時に証明してもいるような人々が、しかも哲学を何かそれ自身かたづけられたものとして取り扱う、という軽蔑が示されているばかりではない。そこでは明らかに哲学がののしられ、哲学の内容、つまり、神と物理的および精神的な自然を概念において把握する認識、真理の認識が、一つのおろかな、それどころか罪深い僣望(おごりたかぶった望み)であると宣言されている。そして理性が、またしても理性が、無限にくりかえして理性が告発され、非難され、弾劾されている。」((『法の哲学』、世界の名著44、P166)
 
 ヘーゲルが怒り狂っているのは、彼の時代に対してである、当時のドイツではすでに資本主義的な諸関係が一定程度の発達をとげており、資本主義は大学にイデオロギー的な側面ばかりではなく、自然科学や他の諸科学の実学的な発達を要請をするようになってきている。このような実学の研究機関としての大学はいつまでも中世の大学のように理性=神の意志=自然=概念というイデオロギー的な幻想に浸っているわけにはいかなくなっていたのだが、ヘーゲルはそれが気に入らないのである。
 
 つまり、ヘーゲルは思想によって時代を超えようというのは幻想であるといったが、実は、時代に到達できない哲学もまた一つの幻想であることに気がつかなかったのである。
 
 そういう点では、たそがれ時をむかえているのは哲学自身であったのかもしれない

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