労働者のこだま(理論)

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zoom RSS ヘーゲル法哲学と歴史法学派 その3

<<   作成日時 : 2008/08/21 14:37   >>

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 ところで、ことがらの成立の歴史的な意義、その成立を歴史的に明らかにして理解しうるようにすることと、そしてことがらの概念ならびに同じく成立を哲学的にみることとは、もともとちがった圏にある。そのかぎりでは両者はおたがいにたいして無頓着な態度を保持しうる。

 とはいっても両者は、学的なことがらにおいてさえも、いつもこうした平静な態度を保持するとはかぎらないのであるから、私はなおこの両者の接触にかんする例をなにか挙げておこう。それはたとえばフーゴー氏の『ローマ法史の教科書』にあらわれており、そこから同時に前述のような両者の対置のやり方のもっとすすんだ解明が生じうる。

 フーゴー氏は同書で、「キケロは十二表法を、哲学者たちに横目をつかいながらほめていること」、「ところが哲学者ファヴォリヌスは十二表法を、それ以来すでに多くの大哲学者が実定法をあつかってきたのと同じようにあつかっていること」を挙げている。フーゴー氏は同所で、そのようなあつかい方にたいするこれっきりでしまいといった返答を、「ファヴォリヌスは十二表法を、哲学者たちが実定法を解しなかったと同様に理解しなかったからである」という理由で述べている。

 ゲリウスの『アッティカの夜』の第20巻第1節にある、法学者セクトゥス・カエキリウスによる哲学者ファヴォリヌスへの訓戒について言えば、それはまず第一に、中味からいってたんに実定的でしかないものを正当化する場合によりどころとされる、永続的で真実な原理を述べている。

 カエキリウスはファヴォリヌスにむかって、はなはだみごとに言う。『君もよく知っているように、法律の与えてくれる利益や救済は、時代の習俗や国家体制の種類により、また当座の実利の計算により、さらに改めなければならない猛烈な悪徳によって、変わったり曲げられたりするものである。

 それらは決して同一の状態にとどまるものではない。それどころか空模様や海模様のように、周囲の情況や国運の移り変わりによって変わっていくものである。

 たとえばかのストロの提出した法案(公有地の制限、債務の軽減など)よりもいっそう健全だと思われたどんな法案が他にあったろうか・・・。あのときヴォコニウスの平民条例(婦人による遺産相続の規制)よりも有益だと思われた法案が他にあったろうか・・・あのときリキニウスの法(と他の節約令)ほどに(市民のぜいたく禁止に)緊要だと考えられたどんな法律が他にあったろうか・・・。

 しかるにこれらの法律は国家が富裕になるとたちまちみんな抹殺され、葬られてしまったではないか・・・』

 これらの法律は周囲の事情のうちにその意義と合目的性をもっており、したがって、総じてただ歴史的な価値しかもっていないかぎりにおいて、実定的であって、それゆえにまた一時的な過ぎ去りやすい本性(たち)のものでもある。

 「法律は周囲の事情のうちにその意義と合目的性をもっている」というのは、まったく正しい見解である。それゆえに「周囲の事情」が変化すれば、「抹殺され、葬られてしまう」ということがおこる場合があるということもまた正しい。

 しかし、ヘーゲルが考えつかなければならなかったことは、「抹殺され、葬られてしまう」ということのなかには、法律の趣旨や解釈そのものがまったく変化して、もとの法律の姿や意義までもが忘れ去られてしまう場合もあるということである。

 ヘーゲルはここでゲリウスの『アッティカの夜』をそのまま引用しているが、ローマの文法家アウルス・ゲリウスが生きていたのは、2世紀の前半で、ローマはすでに帝国となり“五賢帝の時代”にはいっていた。だから、ゲリウスにせよ、カエキリウスにせよ、ファヴォリヌスにせよ、ローマが共和国(都市国家)であった時代の法律がなぜ制定され、それがどのような意味をもっていたたのかをしらなかった。

 だから、ゲリウスはローマがイタリア半島の都市国家であった時代に繰り広げられていた貴族と平民の階級闘争と、その闘争の過程で生まれた諸法律の意義を知らなかった。それでそれらの諸法律はぜいたくを禁止するためであったと理解している。

 しかし、BC494年の護民官の設置以来、十二表法、リキニウス・セクスティウス法(ゲリウスの引用文では、「ストロの提出した法」、「リキニウスの法」と呼ばれている)、ホルテンシウス法、と貴族との階級闘争の成果を法律として確立してきたのである。

 だから、リキニウス・ホルテンシウス法において、公有地の占有を500ユゲラに制限する、平民の負債を軽減する(十二表法では利子は年率100%まで認められていた)、執政官2名のうち1名を平民から選出する等々の規定がなされているのは、貴族の権限の拡張を防止するという意図があったのである。

 立法者たちや諸政府が、その当時現存の事情にたいして行ったことや、時代の諸関係にたいして確立したことのうちに示される知恵は、それ自身独立した意義をもったことがらであって、歴史の評価に属している。そのような評価が、哲学的な観点によってうらづけられていればいるほど、この知恵は、歴史学によってそれだけいっそう深く承認されるであろう。

 ヘーゲルがこの節でまともなことを言っているのはこの部分だけである。こういうことが分かっているなら、なぜこれを自分の理論に生かさないのか不思議なのだが、ヘーゲルがこの節で行っているのは、まさに、この部分と正反対のことである。

 だが私はカエキリウスのファヴォリヌスに対する十二表法正当化の、もっとほかの論のうち、一例を挙げたい、なぜならカエキリウスはそのさい、悟性とその理由づけの方法のもつ不朽不滅な欺瞞、すなわち、悪しきことがらについてなにか然るべき理由を挙げ、それでもってそのことがらを正当化したものと思う欺瞞を、持ち出してくるからである。

 十二表法の第3の、あのひどい法律は債権者に、返済期限が過ぎたら債務者を殺すとか、奴隷として売るとかする権利を与えている。それどころか、債権者が数人のばあいはその債務者の身体から一片ずつ切り取って自分たちどうしで分け合う権利を与えている。しかも、かりにだれか一人の切り取ったものが多すぎるか少なすぎるかしたとしても、そのためにどんな権利損害もそのものに生じないものとする[この条項なら、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』におけるシャイロックには有利だから、彼はありがたききわみと受け入れたことだろう]というふうになっていた。

 ところでフーゴー氏が、ファヴォリヌスは法律を解しなかったのだという場合、なにを言おうとしているのか、よくわからない。どんな学童でもけっこう法律を解する能力はあるし、さっき言ったシャイロックでも、自分にとってあんなに有利な前述の条項ならさぞかし最もよく理解したであろう。――理解するということでフーゴー氏はどうやらただ悟性の教養、すなわち、なにか然るべき理由によってそのような法律に満足するような教養のことを言っているにちがいない。――

 ヘーゲルは、ローマ法の不当性と、そのローマ法を擁護するフーゴーを批判するために、十二表法を持ち出してくる。しかし、ここでヘーゲルが、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』におけるシャイロックを持ち出しているように、ここでのテーマはヘーゲルの時代にあっては現代的なのものでもある。

 マルクスの『資本論』でも、この十二表法の規定は、「労働日」のなかで、児童労働の過酷さを批判する場面で注として登場している。

 「資本の天性は、資本が未発達な諸形態にあっても、発展した諸形態にあっても、変わりはない。アメリカの南北戦争が起きる少し前に奴隷所有者の勢力がニュー・メキシコ准州に押しつけた法律書のなかでは、労働者は、資本家が彼の労働力を買った以上は、『彼の(資本家の)貨幣である』と言っている。同じ見解はローマの貴族のあいだでも行われた。彼らが平民債務者に前貸しした貨幣は、債務者の生活手段をとおして、債務者の血と肉に化した。だから、この『肉と血』は『彼らの貨幣』だった。それだからこそ、シャイロック的な十銅表の法律!貴族である債権者たちがときおりティベル河の対岸で債務者の肉を煮て祝宴を張ったというランゲの仮説は、キリストの聖晩餐についてのダウマーの仮説といっしょに、そのままにしておこう。」(『資本論』、第1巻、大月国民文庫、第2分冊、P109)

 つくつか補足的な説明をくわえるならば、もちろん、マルクスがいう「十銅表」とヘーゲルがいう「十二表法」は同じものである。マルクスが十二よりも二つ少ない十といっているのは、キケロが初めの十表を公平および聡明なものであるのにたいして、つけ加えられた二表には不公平な法律を含むので除外すべきであるといったのを受けている。(キケロが不公平といったのは貴族と平民の結婚を禁止する条項があったためである。)

 またティベル河の対岸というのは、昔、ティベル河が都市国家ローマの国境になっていたからであり、十二表法でも許可されているのは「ティベル河を越えて奴隷として売る」ことであり、これが国外へという意味になっている。(ティベル河が都市国家ローマの国境となっていたのはBC338年以前である。)

 また、キリスト教に関するダウマーの仮説というのは、初期キリスト教では聖晩餐に人肉を使ったというものである。

 ローマ時代に「資本」が出てくるのはどういうことか?ということをもう少し説明すると、『資本論』第3巻第5編「利子生み資本」の第36章「資本主義以前」では、その辺の事情をもう少しくわしく説明している。

 「利子生み資本、またはその古典的な形のものは高利資本と呼んでもいいが、それは、その双子の兄弟である商業資本とともに、資本の大洪水以前的形態に属する。

 高利資本の存在のためには、生産物の少なくとも一部分が商品に転化しており商品取引と同時に貨幣がそのさまざまな機能において発展しているということのほかには、なにも必要ではない。

 高利資本の発展は、商人資本の発展に、またことに貨幣取引資本の発展につながっている。古代ローマでは、製造工業が古代の平均的発展よりもずっと低い時代にあった共和制の最後の時代以来、商人資本も貨幣取引資本も高利資本も――古代的な形態では――最高点まで発達していた。

・・・・

 奴隷経済(家父長的なそれではなく後のギリシア・ローマ時代のそれのような)が致富の手段として存続しておりしたがって貨幣が奴隷や土地などの購入によって他人の労働を取得するための手段であるような、すべての形態のなかでは、貨幣は、それをこのように投入することができるからこそ、資本として増殖できるものとなり、利子を生むものとなるのである」(『資本論』、第3巻、全集25b巻、P766〜767)

 ヘーゲルは当時も現存していたアメリカの奴隷制を知っていただろうが、知らない顔をして、奴隷制はローマの野蛮さを示すものであり、そのような野蛮な奴隷制を容認している十二表法は許容できないと言っている。

 ヘーゲルは「悪しきことがらについてなにか然るべき理由を挙げ、それでもってそのことがらを正当化したものと思う」ことは欺瞞であると断じているのだが、「債務者を奴隷とすることは悪しきことがら」であるという認識自体が、歴史的なものであり、当時の世界が奴隷制度を必要とはしなくなるほど生産力を向上させた結果であったことを忘れている。

 そしてヘーゲルが自分のよりどころとしているギリシア・ローマの時代の哲学者たち、アリストテレスも、プラトンも、ソクラテスも、キケロも、奴隷制は必要なものと考えており、「悪しきことがら」であると主張した人は一人もいないことを忘れている。

 それはともあれ、同所でカエキリウスがファヴォリヌスに指摘しているもう一つ別の無理解は、哲学者ならきっと赤面などすることなしにこれを認めることができる性質(たち)のものである。――すなわち、『輓馬(ばんば:ユーメントゥム)』というのは法律上、病人を証人として法廷につれてくるために、それだけが提供されるものであって、『幌馬車(ほろばしゃ:アルケラ)は然(しか)らず』とされているのであるが、このユーメントゥムが馬ばかりではなくて、有蓋車ないし車をも意味したはずだということについての無理解である。

 カエキリウスはこの法律規定から、古代の法律の優秀さと精確さについて、もっとすすんだ証明を引き出すことができた。すなわち、古代の諸法律は、病気の証人の法廷への召喚のために、馬と車の区別だけでなく、車と車の区別、――カエキリウスの説明するように、有蓋で座席に詰め物をした車と、それほど乗り心地のよくない車との区別にいたるまで、規定を行うことにまでも立ち入ったというのである。

 こうなるとさきにあげた十二表法の第3の法律を苛酷とするにせよ、それとも、いま述べたこのような規定を無意義とするにせよ、お好みしだいということであろう。――だが、それらのことがらについて、おまけにまたそれらのことがらの学識ある説明について、無意義だと申し立てるのは、こういったような学識にたいする最大の儀礼違反の一つということになろう。

 ヘーゲルは自分の無知をいいことにして、思いっきりいいかげんな話をして、デタラメの山を築きあげている。

 十二表法のこの規定は原文は、「[ある者が他の者を」法廷に招致[するときは後者は出頭せよ]、[後者が]出頭せぬときは[前者は]証人を立てよ。その上で[前者は]同人を捕捉せよ。[後者が]捕捉を避け、または抵抗するときは[前者は後者を]拿捕(だほ)せよ。病気または年齢が障害となるときは、[前者は後者に]乗用獣(ユーメントゥム)を提供せよ。[後者が]欲しないときは、有蓋車(アルケラ)を提供してはならない」というものである。

 ※ 捕捉――監禁すること。 拿捕(だほ)――暴力を用いて捕捉すること

 この提供してよいのが乗用獣(ユーメントゥム)か、有蓋車(アルケラ)か、という問題の対象者はヘーゲルが言うように証人ではなく、裁判の被告、すなわち、債務者のことである。

 そして、この規定は民事訴訟についての規定だし、都市国家ローマには公営の刑務所は存在しなかったので、基本的に、被告(債務者)の身柄は裁判所に出頭した段階で、原告(債権者)に引き渡されていた。だから、ここで裁判所に出頭するということは、被告(債務者)が原告(債権者)に身柄を引き渡されて監禁される、ということと同義である。

 だから、十二表法のつぎの規定は、この原告(債権者)に引き渡された被告(債務者)に与える食事の最低限を定めたり、被告(債務者)足につける鉄鎖の重さの最大限を定めたり、拘留期限(60日)を定めたりするものになっているのである。(拘留期限が過ぎると3日の公示期限が設けられ、それを過ぎると殺害されるか、外国に奴隷として売られることになる)

 つまり、被告(債務者)は裁判所に出頭した段階で自由を奪われ、だれか債務を肩代わりしてくれる人や債務の返済義務がないことを証明してくれる人が現れないかぎり、一定の期間後には殺害されるか奴隷として売られることになるのである。

 この法律が平民(債務者になるのは平民が多かった)の保護を目的にしているという点は、@恣意的に拿捕されて債務者に身柄を拘束されるということを禁止している。A拘留期限にさまざまな規定を設けることによって債務者の拘留が過酷になることを防止している。ということのほかに、病人や老人が、その意志に反して債務奴隷になることを防止しているという点にある。

 つまり、この規定によって有蓋車(アルケラ)を使わなければ裁判所に出頭できないような人が、債務奴隷に転落することがないようにという配慮がなされているのである。裁判所に出頭することなくして、債務者を拿捕(だほ)したり、奴隷として売買したりすることは禁止されているのだから、ここで十二表法が、有蓋車(アルケラ)を使わなければ裁判所に来れない人は来なくてもいい、と言う規定を設けているのは、そのような人は、「年齢や病気が障害になっている」のであるから、債務奴隷にしてはならないと、事実上、いっているのである。そういう点では、乗用獣(ユーメントゥム)を使ってなら裁判所に出頭できるのか、有蓋車(アルケラ)を使わなければ裁判所に出頭できないのかという点は、原告(債務者)にとって大きな意味があり、ヘーゲルが考えているように、けっしてどうでもいい規定なのではないのである。

 十二表法のこの規定は、BC326年の債務者の監禁を禁止する法(ポエテリウス法)によって否定され、最終的にはローマ市民を奴隷として売買すること自体が禁止されている。

 フーゴー氏はしかしまた上述の教科書のなかで、ローマ法にかんして理性的ということに説き及んでいる。そのうち、私の行きあたったのはつぎのところである。

 氏は国家の成立から十二表法までの時期を論じて、§38と§39において、「[ローマでは]欲求がたくさんあって、労働をよぎなくされていたが、そのさい、こんにちわれわれのところで行われるのと同じように、輓(ひ)いたり積荷したりする牛馬を助けに用いたこと、土地は丘と谷との起伏交代があって、都市は丘のうえにあったこと」などを述べている。――これらの引証は、それによっておそらくモンテスキューの考えを実証したつもりであろうが、かれの精神にぴったりそっているとは見られがたいであろう。――そのあと今度は§40で、さてフーゴー氏は、「法的状態はまだ理性の最高の諸要求に満足を与えるにははなはだ遠いものであったこと」を、なるほど挙げてはいる[これはまったくそのとおり。ローマの家族法、奴隷制、等々は、実際、理性のきわめてわずかの諸要求でさえも満足させるものではない]。けれどもフーゴー氏はそのつぎのもろもろの時期を論じるさいに、ローマ法が理性の最高の諸要求に満足を与えたのはどの時期であったのか、はたしてそんなことがそれらの時期のどれかにおいてなされたのかどうか、を述べることは忘れている。それでも、学としてのローマ法が最高の発達を遂げた時期の古典法学者たちについては§289にこう述べている。『古典法学者たちが哲学によって教養を得ていたことは、すでに久しく認められている」けれども、「いかなる種類の著作家にせよ、もろもろの原則からの整合的な推論において数学者たちに匹敵させられ、もろもろの概念の展開のまったくいとじるしい特徴において近時の形而上学創始者に匹敵させられるに値するものといえば、ローマの法学者たちほどふさわしいものはいない。このあとのほうの点については、古典法学者たちとそしてカントにおけるほど三分法が多く行われるばあいはどこにも見られないという注目すべき事情が証明していよう。しかしこのことは、ほとんど知るものがいない』。[いまでは、このことを知る者は、フーゴー氏の教科書の多くの重版によって、もっと数多くいるが]――

 あのライプニッツによって称揚された整合性は、たしかに数学や他のあらゆる悟性的な学にとってと同じく、法学の本質的な一特質である。だが、この悟性的整合性は、理性の諸要求を充足することとは、そして哲学的な学とは、まだなんらのかかわりもないのである。

 そのうえ、ローマの法学者と法務官たちは、彼らの不整合さによってこそ、いろいろの不正なひどい制度を回避した。だが、この不整合さによってこそ、彼らは必要にせまられて『うまいぐあいに』空虚な言葉の区別[たとえば、どうせ遺産相続であったものを『遺産占有』と呼ぶような]を考え出したり、それ自身おろかな逃げ口上[そしておろかさはこれまた一つの不整合さであるが]を考え出したりした。彼らはそのようにして、たとえば擬制[ぎせい:フィクチオ、ヒュポクリシス]によって[保護者の]『娘』[フィリア]は『息子』[フィリウス]である[ハイネキウス『古代ローマ法学』第1巻、第2章§24]というふうに、十二表法の文字を救うことが必要であると思った。それらの点では、彼らの不整合さは、たしかに彼らの最大の徳の一つと見なされるべきである。

 ヘーゲルはローマ市民法と万民法(自然法)の二重構造ができないので、遺産相続制度になぜヘレディタス(市民法上の遺産相続)とポノルム・ポセシオ(万民法上の遺産相続:遺産占有)が存在する理由が分からない。

 当時のローマにおいては遺産相続ができるのはローマ市民権を持つ者にかぎられていたが、ローマが属州(占領地)を多く持つようになって、これらの属州でも遺産相続を認める必要性が出てきた。それでローマ帝国では海外の属州に法務官を置き、法務官の裁量によって遺産相続と同じ効果を発揮することが可能となるようにした。これが遺産占有である。

 また、ローマ市民権を持つ者の相続についても、本国の法務官の裁量によって近親者に「遺産占有」を認める場合が後年増えてきたが、これはむしろローマの属州化であり、属州の家父長制や家系重視の慣習がローマ本国にも波及してきたからである。

 また「娘」を「息子」と見なす擬制についても、もともとはローマの婚姻制度に起因していた。

 ローマにおいて婚姻は、妻が自分を夫に売却するという方式がとられており、妻は夫の所有物でしかなかったので、その地位は奴隷の地位と変わりがなかった。(青年マルクスがローマ法学に見切りをつけたのは、当時イエニーと婚約していた青年マルクスがこのようなローマ婚姻法にたいして怒り狂っていたからであるのかも知れない。)

 しかし当時のローマにはこのような婚姻のほかに、事実婚ともいうべき、妻が夫権に帰入しない婚姻も広く存在した、この場合、妻は法律上、夫の家族の構成員ではなく、もとの宗族の構成員にとどまっているので、このような妻にも、もとの宗族の遺産が相続できるように、このような「娘」を「息子」と見なす擬制が用いられたのである。

 いずれの場合も、ヘーゲルが言うように、「十二表法の文字を救う」ために不整合が行われているのではなく、ローマ法の基礎にあるのは奴隷制にもとづく民主主義に海外の占領政策が接ぎ木された不整合なローマの諸制度なのであるが、ローマ法はこのような制度上の不整合を法律的な擬制によって整合性を保とうとしているのである。

 けれども、古典法学者たちがいくつかの三分法的な区別のせいで――おまけにフーゴー氏のその著書の注解5で引かれたような諸例によって――カントといっしょに並べられ、そしてなにかそんなものが諸概念の展開と称されるのを見ることはこっけいである。」

 ここでヘーゲルは、ローマ法を体系として記述しようとするフーゴーにたいして、「なにかそんなものが諸概念の展開と称されるのを見ることはこっけいである」と非難しているのだが、これがどういうことであるのかを理解しているのは、不思議なことに青年マルクスだけである。

 再度、青年マルクスが父親に宛てた手紙にもどると、

 「ところでこの部(法哲学)を私(青年マルクス)はなおおまけに形式的学説と実質的学説に分けていたのです。そのうち前者は体系の連続と連関とにおける純粋な形式、分類および範囲、これにたいして後者は内容、つまり形式のそれの内容への自己凝縮、を叙述するはずだったのです。これはフォン・サヴィーニ氏と共通する私の誤りであって、このことを私はあとで彼の学殖ゆたかな占有論のうちで見つけたのですが、ただ違うのは彼(サヴィーニ)は『しかじかの学説が(擬制的な)ローマ法体系のなかで占める位置を見いだす』のを形式的概念規定とよび、そして『ローマ人たちがそのようにしてきめられた概念に付与していた実定的なものの学説』を実質的概念規定と呼ぶのにたいして、私のほうは形式のもとに、概念の諸形成体の必然的体系を、実質のもとにこれらの諸形成体の必然的な質を理解したところにあるだけです。誤りは、私が一方は他方から切り離されたかたちで展開されうるし、また展開されなければならなぬと信じ、その結果、どんな現実的な形式も得ずに、得たものといえば、抽出(ひきだ)しつきの書きもの机だけで、これらの抽出(ひきだ)しのなかへあとで私が砂を撒(ま)き入れたところにあったのです。

 まことに概念こそは形式と内容の媒介者なのです。したがって法の哲学的展開において一方は他方のなかで湧き出るものでなければなりません。じっさい形式は内容の歩みの継続でしかあってはならないのです。そういうわけで私は結局、主観が浅薄な分類のためにやっと作成しうるような区分に達したのではありますが、しかし法の精神との真理は没し去ったのです。

 ・・・(以下、青年マルクスが与えた、法律上の区分が続く)・・・・

 しかし、私自身が放棄したことどもをもってこれ以上、紙を埋めて何になるというのでしょうか。三分法の分類が全体を貫き、うんざりするほどだらだらと書かれていて、ローマ的諸観念を私の体系へむりやり押しこめるために、それらがまったくひどい扱い方をされています。他面では、私はそういうなかで素材にたいする愛と概観をすくなくともある仕方では獲得したのです。」(全集44巻、P5〜6)

 青年マルクスは、自分はフーゴーやサヴィーニにならってローマ法を体系化するために、区分の抽出(ひきだ)しを作ってみたが、引き出しを開けるとなかには砂しか入っていなかった、これは何かが間違っているからであるという。(青年マルクスは、「抽出し」のなかに法の精神、すなわち自由=概念がないことを、実質がないという意味で「砂」と表現している。)

 しかし、青年マルクスが自分が間違っているという方法、「一方は他方から切り離されたかたちで展開されうるし、また展開されなければならなぬ」という方法は、じつは、正しいのである。

 「法、国家、自然、全哲学というような生きた思想世界の具体的表現においては、客観そのものがその展開のなかで窺(うかが)い知られねばならず、勝手な分類はもち込まれてはならず、事物そのものの理(ことわり)が、それ自身のうちで相克しているものとして転がり続けていって、自身のうちに統一を見いだすのでなければならない」(全集44巻、P5)としたら、概念的な展開とそれによって生みだされた区分は一致しなければならないという確信は妥当なものであろう。少なくとも青年マルクスはここで内在的(客観的)弁証法について語っており、これは研究方法としては正しい。しかも「法の哲学的展開において、一方が他方から湧き出るのでなければならない」というのであれば、なおのこと両者(概念の展開と体系の区分)が一致しないのはおかしいであろう。

 だからここでの問題は、あくまでも概念の展開と区別が一致しないのはなぜか?ということであって、体系として考察するために事象を区別をすること自体ではないはずである。

 そうすれば、青年マルクスは、ヘーゲルがいう「法の概念は、自由の概念である」ということそのものがはたして正しいのか?という根源的な問いかけに到達できたであろうが、その時はまだやってこなかったのである。 

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